所有の余剰、借用の効率、計れない利益(後)
ブログで一席の続きです。
ASSIOMA(アショーマ) » 「都会を離れれば生活コストが安くなる」は本当か?
あらためてかいつまむと、下関駅前の過疎ぶりを例にとり、
「国全体が「プア充」に流れてしまったら。自販機さえない、百円ショップもない、ネットショップの送料は有料、そんな時代に多くの人は満足出来るのだろうか?」
というエントリーに関して、
下記3点について、
Q1.地方と都会、収入はどれだけ違うのか
Q2.地方と都会、生活費はどれだけ違うのか
Q3.地方と都会、持ち家率はどれだけ違うのか
ざっくりと調べた前半から、折り返しての後半です。
結論から言うと、
「生活コストは都会も地方も変わらない。が、質が同じなわけがない」
です。
生活コストを考える上で重要なのが、1世帯当たりの世帯人員数です。
固定費の大部分が世帯単位で発生しますから。
ベストーワーストの差は0.91(山形/東京)となります。
東京との収入の差を、山形では親子同居することで埋めているのではという仮説が成り立ちます。そこで生きてくるのが地方の持ち家率が高いこと。同居しないと(収入的に)やっていけないのが地方なら、(間取り的に)同居する余裕が無いのが都会ということになるのでしょう。
家を持てば誰とでも同居できますが、家を借りた場合は、
家主の許可が必要だったりします。
都会が豊かで、便利で安価に暮らせるならシェアハウスはなぜはやるのでしょうか。
貧乏でも楽しく生きようとする「プア充」批判は貧乏を悪とする価値観と言えるのでしょう。お金の価値はどこで使うのか、何に使うので大きく異なります。どこに住んでも、生活を環境に適応できるか、重要でしょう。
具体的な例として、私の近況について書きます。
私は、一昨年に失業後、東京で半年間にわたり就職活動をしていました。現在は実家の両親の元で居候しています。東京にいた半年は失業保険が出ていましたが、一人暮らしであったため、家賃光熱通信費などの固定費の出費が多く、実際の金勘定以上にプレッシャーを感じていました。実家は過疎県ですがなんとか非正規の職を得て小額ですが実家に生活費を納めています。落ちぶれ感はありますが、金銭的なプレッシャーはあまり感じません。無論、オタク的、文化的活動への参加機会は減りました。一方で、サイクリングがツーリングになるくらい走りがいがあり、健康にはかなりプラスになっています。都会と地方の上下を言う気はありませんが、生活基盤の実際に合わせた生活を送ることは幸せにつながると感じています。
とはいえ、家庭を持つには弱すぎる生活基盤では夢が無いので、
手を尽くして強くしていくことが、今年の課題です。